英語の歴史

ともすると、中小規模の書店をぶらつくよりも、大学生協の書店のほうが専門書がたくさんあって楽しい。そんな中で買った本の一つです。

寺澤盾「英語の歴史 過去から未来への物語」中公新書

column―英語と北欧語のクレオール
古英語期における北欧語との密接な言語接触は、英語の語彙をかなりの程度北欧化しただけでなく、英語の文法面にも影響を与えた。古英語では名詞、形容詞、動詞などがその文法的役割に応じてさまざまに語尾を変化させたが、中英語になると急速にそうした語形変化が単純化されていく。興味深いことに、そうした語形の単純化は、北欧人が住み着いたとされる英国の北部および中東部からはじまっている。英語と北欧語は同じゲルマン系の言語であり、多くの語で形が似ている。たとえば、古英語の動詞giefan(=現代英語give)は、giefe(直接法1人称現在単数)、giefest(直接法2人称現在単数)、giefeð(直接法3人称現在単数)のように活用するが、対応する古ノルド語の動詞形はgef(直接法1人称現在単数)、gefr(直接法2人称現在単数)、gefr(直接法3人称現在単数)で、おもな違いは語尾の部分である。おそらく英国人と北欧人との接触で、後の中核部分(語幹)だけでもある程度意味を伝えることはできるため、語尾の部分を簡略化させたとしても不思議ではない。こうした語尾の単純化は、現代でもカリブ海地域、西・南アフリカ、西太平洋地域などでヨーロッパ言語と地元の言語の混成言語であるクレオール(Creole)にも見られることから、英国でも8世紀末から11世紀半ばにかけて、英語と古ノルド語が混成して一種のクレオールが生まれたという説が近年唱えられている。(pp56-57)


古英語では、「動物、獣」を表わす語としてはdēor(現代英語のdeer)という語が用いられたら、中英語期にフランス語からbeastという言葉が入ると、意味が狭まり、「鹿」だけをさす語となった。なお、中英語期にはさらに「動物」を表わす語としてanimalがフランス語(またはラテン語)から借用されたが、現代ではanimalが「動物一般」の意味を担い、beastはおもに「獣」に限定されている。(p69)


(シェークスピア起源の単語の一例として)また、out-Herod Herod(残忍さにおいてヘロデ王を凌ぐ;『ハムレット』)のようにout(凌ぐ、優る)を固有名詞に付けた動詞句もシェークスピアの造語である。その後、これに倣ってout-Milton Milton(詩作においてミルトンを優る)、out-Darwin Darwin博物学においてダーウィンに優る)のような語句が生み出されている。近年でも、out-Bush Bush(テロに対する強硬姿勢でブッシュ大統領を凌ぐ)、out-Gates Gates(IT分野でビル・ゲイツを凌ぐ)といった新たな表現が生まれている。(p81)


さて、現代英語のtalentは「才能、素質」を意味し、アメリカでは「才能のある人、タレント」の意味で用いられることもあるが、この語はラテン語のtalenum(さらにギリシア語のtálantonに遡る)を借用したものである。ラテン語のtalentumは「重さ」の単位で、通貨の単位としても用いられた。英語でも、当初は、「(重さ・通貨の単位としての)タラント」という意味であった。それでは、現代英語の「才能」の意味はどこからきたのであろうか。実は、この意味の発達には英訳聖書がかかわっている。新約聖書の「マタイ伝」(25章14-30節)に、よく知られたイエス・キリストの喩え話がある。「タラントの喩え話」とも呼ばれるこの話では、1タラントのお金を預けられた者は1タラントの働き、5タラントのお金を与えられた者は5タラントの働きをすべきである、つまり、人は神から授かったタラント(=才能)に応じてそれぞれが働かなければならないと説いている。この喩え話から、本来貨幣の価値を表わしたtalentという言葉が、「(神から授けられた)才能」の意味に転じて現代にいたったのである。(pp82-83)


(英語の語彙となった外来語として、)中国語からも、tea(茶)がオランダ語を経由して借用されている。この語形は「茶」の福建方言の発音(te)によるもので、標準中国語(普通語)ではch'aと発音する。日本語の「茶」は、後者からの借用であり、teaとは同語源ということになる(英語でも当初は北京語によるcha、chahという語形が使われていたが、teaに取って代わられた)。(p86)


(多くの言語からの影響を受けているがために、現代英語は発音と綴りが一致しない。それを踏まえて、)初期近代英語期以来、多くの綴り字改革が試みられたが、そのなかで、成功を収めたものは少ない。それにはいくるか理由が考えられる。英国の植民地政策の結果、英語は全世界に広がり、英語には、現在、イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語、ニュージーランド英語などの変種がある。異なる英語変種の間には、さまざまな発音の違いが見られる。(中略:例をいくつか)このような状況で、もしそれぞれの英語変種が独自の(表音的な)綴り字を採用したら、混乱を招くことになるであろう。また、かりにアメリカ英語など特定の英語変種の発音反映した綴り字を標準綴りにした場合、そのほかの英語圏で大いなる反発が生じるであろう。(中略:同音異義異綴単語が多い英語では、それが同音同綴になると不便が生じる。さらに、)英語には、create/creation/creature、sign/signalなど語形も意味も関連がある語群が存在する。create/creation/creatureでは、語中のtの発音がcreateでは/t/、creationでは/ʃ/、creatureでは/tʃ/のように異なるが、発音に忠実な綴りを採用してcreate/creashon/creachureのようにしたら、これらの語のもつ関連性は見えにくくなってしまうだろう。sign/signalをsine/signalとしたら、もはら2つの語のつながりはまったく失われてしまう。以上のような理由で、今後も大規模な英語の綴り字改革が起こることは期待できないが、今日においても英語の綴り字と発音をなるべく近づけようとする試みは見られる。oftenのtは、子音の連続を避けるため発音されなくなったと考えるが、すでに中期語期にoffenのようなtのない綴りが見られる(oftenでは、nの前の強勢をもたない母音は省略される傾向があるが、その場合/-ftn/という子音連続が生じる)。しかし、一度はこのように消えた/t/が、近年綴りにあわせて再び発音されるようになってきている。listenでも/t/をともなった発音が聞かれることがある。このように綴り字と発音の隔たりがある場合、綴り字にあわせて発音することを「綴り字発音」(spelling pronunciation)という。(pp102-103)


一般に、「婉曲表現」(euphemism)は、使われていくうちに、婉曲性・丁寧さが薄れていくので、次々に新たな婉曲表現が必要となる。つまり、<許可>を意味したmustがしだいに強い<義務・命令>を表わるようになると、新たな許可表現としてmayが導入され、さらにmayが徐々に丁寧さを失うと、今度はcanが<許可>を意味する新たな婉曲表現として用いられるようになった。したがって、can、may、mustといった法助動詞に見られた一連の意味変化は、丁寧さへの妖精がその要因となっており、その点で、前に見た英語の2人称代名詞youの発達と共通している。(pp130-131)


疑問文・否定文にあらわれる助動詞do
中学校で英語の疑問文・否定文を学習する際に、一般動詞は助動詞のdoを挿入して、Do you have any money?、I don't any money.とするように教わる。しかし、現代英語でも、Have you any money?、I haven't any money.(ともにイギリス英語)、How goes it?(元気かい)のように、疑問文・否定文であってもdoをともなわないことがあるが、なぜだろうか。その理由は、doの歴史を遡ると見えてくる。現代英語では疑問文・否定文に助動詞doがあらわれるが、こうしたdoの用法が確立していくのは初期近代英語期(1500-1700)である。それ以前の古英語や中英語では、現代ドイツ語や現代フランス語のように、疑問文では主語と本動詞を倒置させ、否定文では本動詞の直前または直後に否定辞を置いた。助動詞のdoが確立していく初期近代英語では、doを用いない古いタイプの疑問文(Why went you there?)・否定文(I went not there.)とdoを用いる新しいタイプの疑問文(Why did you go there?)・否定文(I did not go there.)が共存していた。(中略:そもそもこの助動詞doは、makeやletなど同様使役動詞として用いられていたが、やがて一般の動詞にも副えて使うようになった。中英語期では詩歌において韻を踏むために使われるようになった。これを踏まえて、)当初もっぱら韻文で用いられていた助動詞doは、1400年頃からしだいに散文にも拡がり、平叙文のdoは強調用法を除いて標準英語では衰退していくことになる。一方、疑問文・否定文では、16世紀以降、doの使用が徐々に増えていく。これには、16世紀中頃の英語に見られた語順に関する変化が関係している。つまり、この時期に(助動詞や自動詞を除き)SVOの語順が一段と優勢になり、その結果として疑問文を形成する際にもSVの語順を保つためdoが有用になったのである。否定文におけるdoの発達にも、疑問文の場合と同様、16世紀中頃の英語に見られた語順に関する変化がかかわっている。ときに他動詞でSVOの語順が優勢になった結果、動詞と目的語の結び付きが強まり、動詞と目的語の離反を避ける傾向が生じた。そのため、否定の副詞によって動詞と目的語を分離してしまうYou saw not the star(V-not-O)よりも動詞と目的語の隣接を可能にするYou did not see the star(do not-V-O)のほうが好まれるようになった。(pp131-134)


(国際語としての英語として、)ベーシック・イングリッシュとは、1930年に英国の心理学者・言語学者C. K. オグデン(C. K. Ogden, 1889-1957)が世界共通のコミュニケーション言語や非母語話者の英語学習を補助する手段として提唱されたもので、BasicはBritish, American, Scientific, International, and Commerdialの頭文字である(もちろん、basic<基礎の>の意味もある)。この基礎英語は、当初は、非母語者でも習得しやすいように、語彙は850語に限られていた。動詞は、come、get、give、have、などの16語(ほかに助動詞2語)だけであるが、これらとほかの語を組み合わせることで様々な概念を表わすことができる。たとえば、climbやloveといった動詞は、ベーシック・イングリッシュに含まれないため、代わりにgo upやhave love forが用いられる。国際補助言語としてのベーシック・イングリッシュは、1940年代には、当時の英国首相ウィストン・チャーチルや米国大統領フランクリン・ローズヴェルト(Franklin D. Roosevelt, 1882-1945)などにも支持された。しかし、極端に制限された語彙がかえって円滑なコミュニケーションの妨げになるといった理由から、十分に発展することはなかった。(pp193-194)


(以上、改行任意)

最後の、あとがきにあるアーネスト・ウィークリー「ことばのロマンス」岩波文庫が読みたいなぁと思ったのですが、絶版中なんですよねぇ。ネット上で古本として買うことはできるのですが、うーん、一応歩き回ろうかな、と。なんなら高田馬場や神田の古本屋を歩き回るのも面白そうですしね。

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)