不機嫌な職場

最近読了した本のレビューシリーズですが、今後はタイトルに本のお名前を入れることにしました。というか、タグ作ればいいんだよね。そうでしたそうでした。

高橋克徳+河合太介+永田稔+渡部幹「不機嫌な職場」講談社現代新書

さて、いつも通りに。割りと衝撃が大きかった本なので、引用箇所多いですがどうかご容赦を:

つぶれる中間管理職
(社員ひとりひとりが孤立している現状に対して)ここで一つの疑問が生じてくる。なぜ、このような深刻な状態になる前に、中間管理職が問題解決することができないのだろうか。そもそも中間管理職は、成果や業績をあげるために個人と組織の能力を高め、組織全体のモラールを引き出すことが最大の役割ではないのか。職場全体のやる気と能力を高めるのは、中間管理職の責任ではないのか。
 しかし、関係の希薄化や破たんが起きている組織では、中間管理職自体が同じように自分自身の仕事で追い込まれ、自分を守るために周囲を否定するような言動をとっているケースも多く見られる。あるいは、人をリードする、まとめる経験の不足から、マネージャーとして自信を持てず、部下や周囲に踏み込めない存在になっているケースも多い。
 特にバブル世代およびバブル崩壊直後に入社した世代の中間管理職の中には、業務改革やリストラで自分が担当する業務が絞り込まれ、細分化されていく中で育った人が多い。同時に、バブルの崩壊による新規採用の抑制などもあり、後輩が入ってこず、自分一人で同じ仕事を回し続けてきた人も多い。(中略)こうした育ちをしてきた中間管理職に、あなた自身の力で解決しなさいと追い込んでしまったら、状況はますます悪化するだけだ。実際に、こうした状況に置かれた中間管理職がうつ状態になってしまったというケースが増えてきている。中間管理職に責任を押し付けても、何も解決しない。(pp22-23)


(最近の職場に見られる、互いに無関心を装う人について)教育学者の速水敏彦は、自分を保つために仮想的有能感を持って、他者を見下し、他者を否定する若者たちが増えていると指摘している(『他人を見下す若者たち』講談社現代新書、2006年)。本来持つべき自己肯定感は経験の積み重ね、自分の存在が認められているというフィードバックの積み重ねによって、持つことができる。しかしこうした経験が少ないまま成長した若者たちは、自分が周囲からはじかれてしまうことが不安になる。そこで自分がいかに価値ある有能な人間であるかを認めさせるために、他者を軽視し、時に他者を否定する。希薄化した人間関係になるほど他者が脅威になり、他者を否定してでも自分を守ろうとするのだという。(中略)協力し合えない組織、協力し合えない社会では、不安と不信が広がり、自分を守るために大きなコストを支払わなければならなくなる。協力しないという行動の連鎖が、結局は自分を苦しめることになる。このことをすべての人が理解しなければならない。(pp34-36)


(一人の人に同じ仕事が集まり、他人からは何をやってるか分からなくなるという「属人性」について)この「属人性」は日本企業にとって現在大きな問題となっている。筆者は以前、アジア地域で日本企業のお手伝いをしていたことがある。その際に、現地で優秀な人材が採用できない、採用しても辞めてしまうという問題にほぼすべての日本企業が直面していた。過去、日本企業に勤めていた人にインタビューをし、なぜ辞めてしまったのかなどの聞き取り調査を行ったことがある。それによりわかったことは、日本企業には「グラスシーリング」があるということだった。(中略。この、日本独特の会社風土「属人性」のために誰に何を聞いたらわからない外国人は、結果が残せなくなり自然と見えない天井=グラスシーリングによって昇進を阻まれるのだ)グローバル化だけでなく、現在の団塊の世代の大量退職に伴うスキル伝承の問題なとに直面し、企業組織として次の段階に移らなければならないいま、日本企業の過度の仕事の「属人化」がさまざまな面で大きな問題となっている。仕事が属人化してしまうため、経営トップから「見えない」、新たな経営の方針に基づいて仕事も変化すべきなのに「変わらない」、次の世代や世界の同僚に伝えるべき内容も「伝わらない」、これらの問題を引き起こしているのだ。(pp43-44)


バブル崩壊後に各所で喧伝された成果主義の、そのデメリットについて)個人は自らの成果創出に集中するインセンティブを与えられ、その方面に行動を向けていった。その結果、個人の成果に関係のない、薄い業務は次々と消えていった。その中には、個人の成果に関係はなくとも、組織としては必要な業務も含まれていた。従来、組織としては必要だからと社員がお互いに手を差し伸べて行っていた業務は、個人の成果にはあまり関係がないということで、次々となくなった。組織の「のりしろ」がなくなっていったのである。(中略)これが組織のタコツボ化」を進めていったのである。一方、同時期に仕事の専門性の深化、複雑化が進んだ。(中略)こうした流れの中で、人事的には求める人材像として、専門家人材がクローズアップされていった。専門性の深さの評価ウェイトが高まるにつれ、社員の専門家志向もますます強まっていった。専門家・プロ化志向がブームになった。この志向性の変化の影響は後の章で詳しく述べるが、社員の仕事への意義を明らかに変えていった。ジェネラリストに求められる幅広い視野でなく、境界をもうけ、深さを求める意識を強めていった。その結果、社員はタコツボの奥に奥にと入っていってしまったのだ。(pp47-50)


(タコツボ化した社員の問題について)旧世代は仕事の範囲が曖昧であったが、曖昧であったがために自分の仕事の前後工程や関連工程を常に意識し知る必要があった。その結果、自分の仕事をしていても、受け手の状態を考えながら自分の仕事を調整する、お互いの仕事の間に落ちそうな状態を事前に察知して手を伸ばすなどの行動が自然にとれていたのである。曖昧がゆえに、個人間のつながりが強化されていったのである。(pp51-52)


(仕事場以外での同僚との関係、インフォーマルネットワークの有用性について)相手を知るとは、単にその人の形式情報を入手するということではない。その人の行動を引き起こす背景にある、考え方、感じ方、経験、重いといった「人となり」をしることが重要である。なぜなら、人と協力行動をとるためには、相手がどのような人が、どのような意図を持った人かを知ることが、協力行動のリスクを減らすことになる。(中略)このような多様な場とそれによるインフォーマルネットワークの存在は、社員同士の結びつきを強めただけではない。「ずるをしない」という牽制機能も担っていたと考えられる。密なコミュニティや、多様につながるネットワークの存在は、情報の流通を促すことによって、悪い評判がすぐに流れるという効果を持つ。(中略)こうしたネットワークの存在が、個人個人がずるをしない、まじめに振舞わないと自分が将来不利になる、損をする可能性が高いと思わせた。(中略。まとめると)従来ならば、何か仕事で悩んでいると、「それだったら、あの人に聞けばいいよ」という情報が入ってきた。インフォーマルネットワークの弱体化により、現在このような情報は極めて入手が難しくなっている。人と人を結びつける力が非常に弱くなり、知りあう機会が減少したのである。(pp56-59)


インセンティブとは馬ニンジンのことである、という従来の認識に対して)本来の意味でのインセンティブとは、「人に何かの行動を起こさせるための外的な刺激と、その刺激によって引き起こされる内的な動機の変化の状態」を指す。つまり、単純にニンジンをぶら下げれば、馬が走るのではない。ニンジンを求める馬がいるから、効果があるのだ。(p60)


(高度経済成長期における会社風土においてでも、交換関係は成り立っていたというのを明らかにした上で)「まじめに働いてくれたら、悪いようにはしないから」という会社からのメッセージに対して、社員側からは「わかりました。どれだけ自分が貢献できるかはわかりませんが、まじめに手を抜かず頑張ります」と応える形での交換関係は成立していたのだ。その結果、社員は自分を守る場を、自らの協力行動によって確保しようと行動してきたのだ。このようなインセンティブ構造により、日本の会社では社員間の協力行動が担保されていた。誰かが手を伸ばされなければならない状況では、必ず誰かが最後には手をだすという風土が醸成されていった。(p63)


(90年代後半以降の終身雇用制度崩壊や会社の研修制度などの結果として)こうして、あてにならない会社に対し、社員は自らのスキル開発に自己投資を始めた。自らのスキル開発に役立つか否かという観点で仕事をみるようになり、会社から与えられる仕事に対してノーと言い始めたのだ。「その仕事は私のためになるんですか?」この言葉は社員の本音をよく表した一言と言えよう。社員は自らの仕事の範囲に自らを限定することに加え、自分のためにならない業務には行動を起こさなくなっていった。そのような状況では、従来のような「求められていない」協力行動は望むべくもないだろう。いまは、かつてのような「交換」が成り立たない状態なのである。(p65)


人を助けることは難しい
 ところが、この、人に援助の手を差し伸べるという行動でさえ、意識しなければ、できない難しい行動なのだ。
 1964年、ニューヨークで起こったキティ事件と言う有名な事件がある。仕事帰りの若い女性キティ・ジェノビーズが自分のアパートの駐車場でナイフで切りつけられ、大声で助けを呼んだが、誰も警察に通報せず、殺されてしまったという事件である。
 実際には、女性の「助けて」という叫び声に気付いた人は38人もいたのだという。しかし、誰一人、自分が通報しなければならないと思って行動を起こした人はいなかった。
 当時のマスコミは、都会人の冷淡さと書きたてた。しかし、この事件がきっかけで、社会心理学における援助行動の研究が進み、人間であれば誰にでも起こりやすい心理であることが検証された。
「きっと、誰かが助けてくれるだろう」
 そんな気持ちが、一人ひとりの胸をよぎってしまい、結局誰も助けに行かなかった。これを「援助行動の傍観者効果」と呼ぶ。つまり、人は助けて欲しいと言われたときに、周囲に自分以外の人がいれば、つい傍観者になってしまうことが起きやすいということである。(pp195-196)


(組織全体で互いに助けあうようにするために)ここで重要なのが、認知のフィードバックである。素直に、相手がしてくれたことが自分にとって、どれだけ素晴らしいことだったか、喜びにつながるものであったのかをフィードバックしていく。認めること、褒めること、「すごいよ」「君が支えてくれたからこそできたんだ」「君と一緒に仕事ができて嬉しい」。こうした感情を伝え、その人のしてくれたことが本当に大きな意義を持ったという認識をフィードバックしていく。自分がやったことがその相手に、さらには周囲の人たちに、大きな影響を持ったという事実が、さらにその人の自発的な協力行動を強化していくことになる。(p199)


(以上、改行はほぼすべて任意。漢数字は一部算用数字に改めました。)

「第4章 協力し合う組織に学ぶ」や「第5章 協力し合える組織をつくる方法」からの抜粋は、流石に自重しました。みんな買って読んでくれ。

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)